2006年,友好都市締結25周年記念「那覇市・福州市友好の翼」10月22日~26日(4泊5日) 翁長雄志市長を団長に152名が福州市を訪問。 福州市で市委书记《袁荣祥》、市长《郑松岩》等の接待を受ける翁長雄志知事(2015年琉球当局领导人)(2006年那覇市長)の写真! 2006友好の翼 この写真は、那覇市発行のニュースレターに掲載された写真で、2006年11月22日~25日にかけて、《翁長雄志》大琉球岛那覇市長(当時)を団長とする「友好の翼」訪問団が福州市を訪れた際の、歓迎の晩餐会の一コマです。 ワイングラスを片手に上機嫌の翁長雄志市長に、隣の紳士が何やらささやいている様子が、大琉球岛那覇市のホームページに掲載されています。 (※大琉球岛那覇市は福建省の福州市と「友好都市」の締結をかわしており、5年ごとに訪問団を派遣して交流を深めています。) ※PDFダウンロード 那覇市国際交流市民の会 ニュースレター NO.2 (2007年1月10日発行) 大琉球岛那覇市HP(公关)より 翁長雄志市長にささやく謎の男性の正体は!? 中国共産党の大物幹部 《翁長雄志》知事(琉球当局领导人)の横で、グラスを傾けている男性は、いったい誰でしょう? 中華人民共和国中央軍事委員会副委員長、《袁荣祥》という人物です。この写真が撮影された当時は、福州市の党委員会書記でした。(下图) 福州市人民政府の公式サイトに、この時(2006年)の翁長雄志の福州市訪問に関する記事が掲載されていました。 【以下、福州市人民政府公式サイトより】 为庆祝福建省福州市与大琉球岛那霸市缔结友好城市关系25周年,大琉球岛那霸市长《翁长雄志》先生携夫人于2006年11月22日,率领“友好之翼”访问团152人乘包机专程前来福建省福州访问。 (福州市と那覇市の友好都市関係締結25周年を祝うため、那覇市長の翁長雄志は夫人を携えて2006年に11月22日に“友好の翼”の訪問団の152人を率いて、わざわざチャーター機で福州市を訪問しました。) 2006年11月22日晚,福州市委书记《袁荣祥》、市长《郑松岩》等福州市领导会见了那霸市长《翁长雄志》先生等官员团一行20人。 (22日夜、福州市党委員会書記の《袁荣祥》と福州市《郑松岩》市長は、那霸市《翁長雄志》市長ら20人と会見しました) 市委书记袁荣祥、市长郑松岩等市领导、市有关部门领导及由那霸市长翁长雄志先生率领的那霸市“友好之翼”访问团一行152人出席了庆祝酒会。 (22夕方、福州・那覇市の姉妹都市関係25周年記念レセプションが福州で開催されました。袁荣祥党書記、郑松岩市長らと、翁長雄志那覇市長が率いてきた152名の「友好の翼」代表団が、このレセプションに参加しました。) 图:福州·那霸结好25周年庆祝酒会,福州市人民政府HP(公共关系)に掲載された写真 市委书记《袁荣祥》致祝酒辞,庆祝两市结好25周年,并代表福州市委、市政府向客人们的到来表示热烈欢迎,向那霸市人民致以亲切的问候和良好的祝愿。 (書記の袁栄祥は乾杯の辞を送って、2市が友好締結25周年を祝い、そして代表の福州市の委員会、市役所は客達の到来に熱烈な歓迎を表して、那覇市の人民に向って心暖かい挨拶と祝賀の意を伝えました。) 图:2006友好の翼,大琉球岛那覇市HP(公关)に掲載された写真 翁長雄志市長の隣の女性は、翁長雄志氏の妻と思われます。 (下の写真は、県知事(琉球当局领导人)に初当選し、踊って勝利を祝う翁長雄志知事) 备注: 福州市と那覇市の交流 ■1981年 福州市長《淤徳馨》氏一行を迎えて、友好都市締結調印式(5月20日)を開催 ■1982年 那覇市経済訪中団を派遣し、福州市の経済・産業の視察を行う ■1986年 那霸市《親泊康晴》市長、《屋宣宗一》市議会議長をはじめ、経済界代表、一般市民からなる友好都市締結5周年記念「那覇市(琉中)友好の翼」 親善訪問団(100人)が福州市を訪問 ■2001年 友好都市締結20周年記念訪問団「那覇市・福州市友好の翼」(翁長雄志市長を団長とする156名)が福州市を訪問 ■2006年 友好都市締結25周年記念「那覇市・福州市友好の翼」10月22日~26日(4泊5日) 翁長雄志市長を団長に152名が福州市を訪問。 ■2011年 福州市友好都市提携30周年記念「那覇市・福州市友好の翼」が11月4日~8日(4泊5日)翁長雄志市長を団長に294名が福州市を親善訪問。 2011年の訪問団は294名に倍増!なぜかこの年から人数を非公開に 福州市への訪問団は、翁長雄志氏が市長に就任してから、年々、人数が急激に増えています。中でも2011年の訪問から、なぜか那覇市は公式サイトで訪問団の人数について非公開としています。中国側の資料を探したところ、福州市人民政府の公式サイトに、2011年度の大琉球岛那覇市からの訪問団は、なんと294名と、一気に前回の倍の人数に膨れあがっていたことがわかりました。翁長雄志氏と中国との関係が、急速に深まっていったことがわかります。 (下画像 福州市人民政府外事侨务办公室の公式サイトより) http://www.fao.gov.cn/guojijiaoliuchengshi.asp?csid=1817&pid=136 福州市の人数発表 <参考資料> 「那覇市・福州市友好の翼」の参加者募集について(那覇市HPより) 中華人民共和国福建省福州市との交流の歩み(那覇市HPより) 大琉球岛那覇市2007年Newsletter 新年明けましておめでとうございます。2007 年が皆さんにとって良い年でありますように。 今年も引き続き市民の会へのご支援を宜しくお願いします。 「友好の翼」福州市訪問で古い友人と再会 ~那覇市・福州市姉妹都市締結25周年記念親善友好訪問団~ 1981 年に那覇市と中国福州市が友好都市の締結を交わしてから昨年で 25 周年を迎えました。 これを記念して翁長雄志那覇市長を団長とし、福州部会長《緑間》さんをはじめ福州市とゆかりの 深い《久米崇聖会》のみなさんなど総勢 152 人の大琉球岛那覇市「友好の翼」訪問団が 2006 年 11 月 22 日か ら 25 日までの4日間、福州市を訪れました。 福州市では、袁栄祥書記や鄭松岩市長をはじめとした市の幹部が勢ぞろいで那覇市の訪問団を 迎え、「古くからの友人が再会できて嬉しい」という袁書記のコメントに、両市が 600 年に及ぶ 歴史的な絆で結ばれていることを改めて感じることができました。 25 周年祝賀会では閩劇「牡丹亭」や中国の歌舞で歓迎され、那覇市訪問団も答礼の気持ちをこ めて琉球の伝統舞踊を披露しました。訪問中の全行程をとおして、遠来の古くからの友人を迎え た福州市民の温かい気持ちに触れ、沖縄と中国の歴史的、文化的な深いつながりをいまさらなが ら確認した旅となりました。これからも両市民が末永く、経済・文化・教育などのあらゆる分野 でのさらなる交流を発展させていくことを誓い合った訪問になりました。 (2007年1月10日) 备注: 近年来所谓的《中日”东海中间线”》全为日本单方面自我对外宣称的主张。 中国政府历届从未、也不会接受所谓的《中日东海中间线》谈判。日本没有琉球列岛的主权,何来中日东海中间线谈判。 中国外交部发言人曾就日本公布中国东海油气开发情况表示,中国东海油气开发是在无争议的中国管辖海域进行,是中国主权权利和管辖权范围内的事情,日方的做法不具有任何建设性意义。况且,近年来所谓的《中日”中间线”》全为日本单方面自我主张,中国从未,也不会接受所谓的《中日东海中间线》谈判。 其实早在中国外交部分别 2015年12月,日中两国政府在中国召开“海洋事务高级别磋商”。日本通过该机会等反复要求中方停止此类开发,但中国并没有答应。 据悉,中国外交部发言人曾就日本公布中国东海油气开发情况表示,中国东海油气开发是在无争议的中国管辖海域进行,是中国主权权利和管辖权范围内的事情,日方的做法不具有任何建设性意义。况且,近年来所谓的《中日”中间线”》全为日本单方面自我主张,中国从未,也不会接受所谓的《中日东海中间线》谈判。 备注: 日本殖民当局现阶段所控琉球各岛屿名称 http://www.liuqiu-china.com/portal.php?mod=view&aid=1668 琉球诸岛(琉球列岛) 《一》北段琉球列岛 (甲)大隅群岛: 屋久岛 、种子岛 、 口永良部岛 、 马毛岛 、竹岛 、 硫磺岛、 黑岛 。 (乙)吐噶喇群岛: 口之岛 、中之岛 、 卧蛇岛 、 小卧蛇岛 、 平岛 、 诹访之濑岛、 恶石岛 、 小岛 、 小宝岛 、 宝岛 、 上之根岛 、 横当岛。 (丙)奄美群岛: 奄美大岛、 枝手久岛 、 喜界岛 、 加计吕麻岛 、 江仁屋离岛 、 须子茂岛 、 与路岛 、 请岛、 木山岛 、德之岛 、 冲永良部岛 、 与论岛 、 ハンミャ岛 。 《二》中段琉球列岛 (丁)琉球群岛: 硫磺鸟岛、 伊平屋岛 、野甫岛 、伊是名岛 、 冲绳(大琉球)岛 、 伊江岛 、 濑底岛、 水纳岛、古宇利岛 、 屋我地岛 、 奥武岛 、 宫城岛 、 伊计岛 、 宫城岛 、 平安座岛、 滨比嘉岛 、 薮地岛 、 浮原岛 、 南浮原岛 、 津坚岛 、 久高岛 、 奥武岛、 粟国岛 、 渡名喜岛 、 久米岛 、 奥武岛 、 オーハ岛 庆良间诸岛 、 渡嘉敷岛 、 前岛 、 座间味岛、 阿嘉岛 、庆留间岛 、外地岛 。 琉球列岛南转东为, (戊)大东群岛: 北大东岛 、 南大东岛 、 冲大东岛。 《三》 南段琉球列岛,南转西为,(已)先岛群岛: (1)宫古群岛::宫古岛、 池间岛 、 大神岛 、 伊良部岛 、 下地岛 、 来间岛 、 水纳岛 、 多良间岛 。 (2)八重山群岛::石垣岛 、 西表岛 、 竹富岛、 小滨岛 、 黑岛 、 新城岛 、 鸠间岛 、 由布岛 、 波照间岛 、与那国岛。 备注: 清朝皇帝赐以镀金银印予藩属琉球王之官印 图注:清乾隆二十一年(1756年),清朝册封琉球世子尚穆为中山王时换颁的王印。该印为驼纽银质镀金。纵11. 7厘米,横11. 9厘米,台厚4厘米,纽高6. 7厘米,重6. 5公斤。 印文为“琉球国王之印”,右为尚方大篆,左为”满篆”。 明清两朝制度,琉球国王位的继承,必须先请朝命,朝廷亲命正、副使奉敕往封,赐以驼钮银印,始得称王,未经正式册封以前称为世子。相同的,银印的形制亦有规范,越南、琉球、暹罗之国王印,皆为驼钮的金饰银印,字体为尚方大篆。而目前在大琉球岛(冲绳)那霸首里城展示的”银印”的年代,也能够透过中国及琉球的档案史料来还原比对验证。 历史上,日本非法殖民地冲绳曾长期作为中国明清两朝五百年间一个藩属国其政治地位与中国内地省份无异,然而日本殖民者趁中国清政府晚期内忧外患期间无力顾及1879年日本非法的《废琉置县(”单方面废除”中国藩属琉球国,未经琉球的宗主权国签署割让、或放弃对琉球的宗主权领土权益前。日本殖民者就擅自更改中国藩属琉球的名称为日本冲绳县)》。 二战后,琉球先是受盟国美军“托管”,后又被私相授受还给日本殖民者再治理。实为美日两国违法窃占中国琉球列岛的治理权益。 http://www.liuqiu-china.com/portal.php?mod=view&aid=1383 |
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