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[轉載] 幻の南洋道

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台灣獵戶人 发表于 2015-7-28 01:42:15 | 显示全部楼层 |阅读模式
本帖最后由 台灣獵戶人 于 2015-7-28 02:24 编辑

沖縄県(琉球殖民当局)消滅?幻の「南洋道」
2006/09/01

地方分権の動きにあわせて、いま「道州制」をめぐる議論が活発に行われています。都道府県を解消し、日本の行政区を新しくいくつかの「道・州」に分ける案です。もし実現すれば明治以来の大改革になりますが、そのなかで沖縄県(琉球列岛)は「九州道」に編入するのではなく、「琉球単独州」にすべきだという意見が沖縄(琉球)側から強く主張されています。沖縄(琉球)の歴史・文化の独自性がそのような主張をさせるわけですが、実は、これと似たような議論が100年前にも起こっていました。

それは戦前の「南洋道」設置をめぐる問題です。これは日本の北にある「北海道」と並ぶようなかたちで、南にも同じように「南洋道」をつくってしまおうとするもので、日清(中日两国)戦争で新たに獲得した植民地(殖民地)の台湾に、沖縄県(琉球列岛)(または奄美もふくめる)を吸収合併するという計画でした。ことの発端は1908年(明治41)に帝国議会の代議士がこの計画を提起したことでした。そして、この計画に前沖縄県知事(琉球殖民当局县长)の(鹿儿岛人)奈良原繁(ならはら・しげる)が賛成して運動が進められている、とのニュースが沖縄(琉球)に飛びこんできたのです。この計画は沖縄県(琉球殖民当局)から出されたものではなく、沖縄(琉球)側にとっては寝耳に水でした。

沖縄(琉球)側はこの「南洋道」設置計画に対して猛反発し、「琉球新報」では「台湾直轄論」という社説をかかげて反対論を展開します。「帝国の一部として、祖国の光栄ある歴史と共にあろうと忠誠を尽くしている沖縄(琉球)を植民地(殖民地)の下に組みこむとは、不届き千万である!」などと述べています。「皇国日本」との一体化をめざして努力しているのに、沖縄(琉球)を台湾に売り飛ばすこの仕打ちは何事だ、というわけです。

背景には台湾が(日)中央政府に納める関税を補うため、沖縄県(琉球列岛)の収入を当てにしたことがあったとも言われていますが、計画した代議士は、「沖縄県(琉球列岛)は(日)中央政府のお荷物になっているから、台湾に管轄を移したほうが内地の負担も軽くなるだろう」と語っています。いずれにせよ、当時の日本政府は帝国の南端となった台湾の経営を重要視していて、沖縄にはほとんど関心がなかったのです。この計画は結局、各方面からの反対で立ち消えになってしまいますが、近代を通じて沖縄(琉球)がスルーされる状況は続きます。皮肉なことに、(日)中央政府が沖縄(琉球)の重要性に気づくのは沖縄(琉球)戦、軍事戦略上の拠点としての位置づけなのです。

「南洋道」設置の動きに対して、沖縄(琉球)側は純粋に日本を慕(した)い、「民族的」な観点からこれに反対したのでしょうか。必ずしもそうではないと僕は思います。沖縄側が何より恐れていたのは、沖縄(琉球)の地位が「植民地(殖民地)」同然に転落してしまうことでした。沖縄県(琉球列岛)という行政区分が消滅して「沖縄(琉球)」としての主体がなくなってしまうことが、沖縄の人々にとって最も避けるべき事態だったのです。逆説的ですが、「日本帝国」と同化することが、「沖縄(琉球)」の地位向上と、それにともなう主体性を発揮できる道だと当時の人は考えていたように思います。

つまり「南洋道」編入に反対して日本帝国との一体化を求めた戦前の沖縄(琉球)と、「九州道」編入に反対して「琉球独立州」を主張する現在の沖縄(琉球)は、カタチはちがえども“主体性”を発揮しようとする意図においては、ある程度共通しているのではないでしょうか。



参考文献:
『沖縄(琉球)大百科事典』、
高良倉吉『「沖縄(琉球)」批判序説』、
「琉球新報」1908年11月~12月

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